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「だいじょうぶだよ。」はまほうのことば


よねみつ あやね

 わたしは、おばあちゃんが大すきです。おばあちゃんといっしょにいると楽しいので、わたしはいつもえがおになります。この本は、おばあちゃんと男の子がえがおで楽しそうに見えたので、わたしはじぶんのおばあちゃんが思いうかびました。
 わたしのおばあちゃんは、しごともして元気にしています。でも、もし、この本のおばあちゃんのように、わたしのおばあちゃんもきおくをなくすびょう気になってしまったら、わたしのこともわからなくなるのかな、とかなしい気もちになりました。家ぞくのことがわからなくなったり、きゅうにおこり出したりしたとき、わたしは、男の子とおなじように、あん心することばをかけることができるのかな、と思いました。
 そこで、わたしは、この本のおばあちゃんの気もちになって考えてみました。わたしは、じぶんのきおくがなくなったり、家ぞくのことがわからなくなったら、とてもこわくてどうしていいのかわかりません。わたしにとって大すきな家ぞくやあん心できるはずの家は、しらない人たちがいるおちつかない場しょになってしまいます。そう考えると、この本のおばあちゃんはきっとふあんでしかたがなかったと思いました。男の子の「おばあちゃんはぼくのおばあちゃんだよ。」「だいじょうぶだよ。」ということばは、あん心できるまほうのことばだと思いました。わたしもふあんなときに、お母さんから「だいじょうぶだよ。」と言われるとだいじょうぶな気がしてくるからです。
 日本は、なが生きする人が多く、年をかさねてものわすれやきおくがなくなるにんちしょうの人がふえています。これからわたしのまわりでも、そのような人たちとかかわることがでてくるかもしれません。そのときは、やさしくあん心できることばをかけてあげたいと思います。あい手の立場になって、気もちを考えて行どうしていきたいです。
2024年10月 新刊追加